スロバキアコルナ
ミヒャエル・エンデ(Michael Ende, 1929年11月12日 - 1995年 8月29日)は、メルヘンのお膝元、ドイツの児童文学作家。ドイツ南部のガルミッシュ=パルテンキルヒェンで生まれた。父はシュールレアリスム画家のエドガー・エンデ。日本と関わりが深く、1989年に『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚している。また、日本の黒姫童話館にはエンデに関わる多くの資料が収集されている。リン・カーター(Lin Carter (Linwood Vrooman Carter)、1930年6月9日 - 1988年2月7日)は、アメリカ合衆国のファンタジー作家、SF作家、評論家、編集者。コロンビア大学卒業。 レムリアン・サーガなどの執筆や、ファンタジーのアンソロジー編集を行い、忘れられたジャンルであったヒロイック・ファンタジーを復興させた。 また、L・スプレイグ・ディ=キャンプらと共にロバート・E・ハワードの『不動産担保ローン 』シリーズの続編も手がけており、「墳墓の主」 Dweller in the Tombや、「シャッガイ」 Shaggaiといったクトゥルフ神話作品もある。 ランドル・ギャレット(Gordon Randall Phillip David Garrett、1927年12月16日 - 1987年12月31日)は、アメリカ合衆国ミズーリ州レキシントン生まれのSF作家、ファンタジー作家、推理作家。テキサス工科大学卒業。 マーク・フィリップス (Mark Phillips)、ダレル・T・ランガート(Darrel T. Langart)など十以上のペンネームをもつ。ロバート・シルヴァーバーグとの合作に際しては、ロバート・ランドール(Robert Randall)のペンネームを用いた。 ファンタジーと本格推理小説を融合させた「ダーシー卿」シリーズで有名。これは、科学に代わって魔術の法則がすべてを支配し、イギリスとフランスが一つの国になっているパラレル・ワールドの現代ヨーロッパを舞台にした、あくまでもロジカルな推理小説である。1999年、ダーシー卿シリーズに対してサイドワイズ賞特別賞が授与された。 ジョナサン・キャロル(Jonathan Samuel Carroll、1949年1月26日 - )はアメリカ合衆国ニューヨーク生まれ、ウィーン在住のファンタジー作家、ホラー作家である。メタ・フィクション的なダーク・ファンタジーを得意とする。 作品内に幻想マンスリーマンション やファンタジーの愛好者に好まれる、マニアックな実在人物や作品等を非常に多く登場させることでも知られ、熱狂的な読者を持つ作家である。 母は女優のジューン・キャロル(en:June Carroll、旧姓・シルマン)。父は脚本家のシドニー・キャロル(en:Sidney Carroll、映画『ハスラー』(1961年、米、主演ポール・ニューマン)の脚色などを担当)。 1971年、ラトガース大学卒業。 1974年に長編『キャリー』でデビュー。ジャンルはホラーであるにもかかわらず、舞台は主に津田沼一戸建て で、具体的な固有名詞をはじめとした詳細な日常描写を執拗に行うのが特徴。その作風から、従来の「非現実的な世界を舞台とした、怪奇小説としてのホラー」とは異なる「モダン・ホラー」の開拓者にして第一人者とされる。 ホラーばかりではなく、『ショーシャンクの空に(原題:「刑務所のリタ・ヘイワース)』や『グリーンマイル』など、映画化された話題作でも有名である。日常の中に潜む「ちょっとした不思議」を題材にした作品も目立つ。 著作の多くが映画化またはドラマ化されている。世界幻想文学大賞、O・ヘンリー賞、ブラム・ストーカー賞、ヒューゴー賞など、数々の文学賞を受賞している。 略歴 スティーヴン・キングスティーヴン・E・キング(以下キングと呼ぶ)は、1947年米国メイン州のポートランドで、スコットランドとアイルランド人の祖先を持つ、父ドナルドと母ネリー・ルース・ピルズベリーの間の第2子として生まれる。武蔵野マンション を身ごもることすらできないと医者に言われた父母は、兄デイヴィッドを養子に迎えるが、その後、キングを身ごもり出産。父ドナルドは掃除機のセールスマンとして働いていたが、キング二歳の時に蒸発。その後キングの母は祖父母の面倒を見ながら朝から深夜まで働き、兄デイヴィッドとキングの2人を育てあげた。父ドナルドの消息は不明のまま。「薮蛇になりそうだから、父親の消息は調べない」とキングはさまざまなインタビューで語っている。 10歳のころより、『ファンタスティック』などのSF専門誌に投稿する。少年時代から殺人事件の新聞のスクラップを集めていた。家に風呂がなかったので、凍えるような寒い日でも、親戚の風呂を借りにかなりの距離を歩いていたにもかかわらず、肥満児だった。1966年に高校を卒業後、オロノにあるメイン大学(University of Maine)に入学し、1970年に卒業する。20歳のときに投稿した小説「武蔵野タワーズ 」が、『スタートリング・ミステリー・ストーリーズ』誌に掲載された。大学2年から学内新聞の『ザ・メイン・キャンパス』のコラムを毎週書くようになる。 キングはタビサ・スプルース (Tabitha Spruce) と、大学時代図書館でのアルバイト中に知り合い、1971年の1月に結婚する。結婚してまもない頃、キングは男性雑誌に小説を売り続け、この時代に書かれた短編は、『深夜勤務(Night Shift)』にその他の作品と一緒にまとめられている。 同年の秋、キングはメイン州の公立高校ハンプデン・アカデミーで英語のクラスを教え始め、深夜はクリーニング屋でアルバイト。妻はダンキンドーナツで働いて家計を助ける。この間、小説は夜間や週末に執筆することで、創作活動を続けていった。トレーラーハウスでの極貧生活、次々と生まれる子供たちに反してこれという作品が書けず、アルコールにおぼれていた日々もあった。 1973年の春に、米国大手出版会社のダブルデイ社が小説『湘南 不動産 』の出版を引き受けたことで、キングは教職を離れ、小説家として一本立ちする決心をする。一度はごみ箱に捨てた作品だが、タビサ夫人が拾い上げて執筆を強く勧めた。母親ネリーは出版直前に癌で死亡。 『キャリー』は、1974年の春に出版され、その後映画化されてヒットする。同年の秋キングはメインを離れ、コロラド州ボルダーに移り住み、1年弱の滞在の間、コロラドを舞台とした『シャイニング(Shining)』を書く。 1975年の夏メイン州に戻り居を構えて、ボルダーを舞台とした『ザ・スタンド(The Stand)』を書き上げる。『デッド・ゾーン(The Dead Zone)』もこの時期に書かれる。 精神が安定しない時期があり、薬箱に入っている薬なら何でも飲んでしまうという、軽い薬物中毒の時期もあったが克服した。 逗子 不動産 事件が起こった。 キングとタビサの間には3人の子供がいる。名前はナオミ・レイチェル、ジョセフ・ヒルストロム(ジョー・ヒル)、オーウェン・フィリップといい、また現在3人の孫がいる。タビサ、ジョー・ヒル、オーウェン・フィリップは作家として活動している。 映像化作品について キングの作品の映像化については、デビュー作『キャリー』映画化がヒットして以降、原作が映画化されたが、興行成績がふるわないものが多くなり、次々に映像化されるものの、ホラーではない『スタンド・バイ・ミー』以外は評価も興行成績も高くないという状況が10年以上続いた。『ミザリー』の高評価で一時見直されたが、やはり当たりはずれがあり、以後映像化された作品については、どちらかというと『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』など非ホラー作品に高評価のものが多い。 スタンリー・キューブリック監督が映画化した『シャイニング』が気に入らず、自らテレビドラマ『シャイニング (テレビシリーズ)』(1997年)を監修した。キューブリック監督の映画を「空っぽのキャデラック」と酷評している。 テレビドラマ化される作品も多く、『ローズ・レッド』(Rose Red) などがヒット作として知られている。 そのほかキングが製作総指揮をとった映像作品としては、ラース・フォン・トリアー原作のテレビドラマをリメイクした『キングダム・ホスピタル』(Kingdom Hospital)がある。原作の舞台をアメリカ合衆国に移し、キングによる脚本をもとにリメイク作品が製作されたもので、原作に比べ大幅に改変が加えられた作品となっている。 最新作は、短編小説『霧』(『骸骨乗組員』所収)を実写化した「ミスト」。キャストにはキング作品の『ドリームキャッチャー』にも出演したトーマス・ジェーンが参加している。 作品同士のリンク キングの作品は「ダーク・タワー」シリーズを中心に多くの作品がリンクしている。さらに、「ダークタワー」シリーズとは別にキャッスルロック、デリー(ともにメイン州の架空の街)等を繋がりにリンクする作品も多く、細かいリンクを辿るとほぼ全ての作品が繋がっている。 また、『レギュレイターズ』と『デスペレーション』では、全く同じ題材を全く違う視点、展開、タッチで描くという試みも行っている。